伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」 第29話/方舟のファイサル
 

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」

小説、エッセイ、画塾

cinamon B 飛行船シルフィ― cinamon

第29話/方舟のファイサル


警備担当の乗務員が巡回に来たのだが、「兄弟」の一人が、英語で、「友人が俺のバイクをみたいっていうから、みせにきたんだ」といって、アメリカ紙幣五十ドルを相手に渡すと、中国訛りの強い英語で、“Thank you.”と笑みを浮かべて立ち去った。

「アリストレスよりも、プラトンが好きなようだな」

ファイサルは古代ギリシャの哲学者二人の名前をあげて白い歯をみせた。アリストレスはマケドニアのアレクサンダー大王の師で現実主義者、プラトンはアリストレスの師で理想主義者だ。

ファイサルの横にいた「兄弟」が、ポシェットから折り畳み式の櫛のようなものを取りだした。

(バタフライ・ナイフ!)

「人の女を奪えば死を覚悟するのは当然というもの。リョウスケ、君には選択権がある。サムライのようにナイフで腹を切るか、あるいは、海に飛び込むか。任せよう」

彩乃が、「やめて」と叫ぼうとしたが、素早く「兄弟」が後にまわって口を塞いだ。ファイサルは、いまいった言葉に取引条件をつけてきた。

「ナイフで自決するということは海に飛び込むよりも勇気がいる。もしナイフで自決したら、彩乃から手を引こう」

殺された恋人の面影が綾乃に重なる。僕はまた少し錯乱した。口を塞がれたまま「兄弟」の腕の中でもがいている。

「雫――」

迷わずナイフによる自死を選んだ。「兄弟」の一人が床にそれを上に立てて握っている。後ろの二人が僕を離す。ファイサルがサングラスを外す。僕は勢い床にダイビングした。

走馬燈というのは封印していた一生涯分の記憶が、死ぬ間際に、いっぺんに噴きだす現象で、出会った人たち、自己の体験が、早送り画像のように瞼に浮かぶ。



アンモナイトの螺旋が、銀河となり、黄金の粒となった星々が砂時計のように、中心太陽に呑み込まれていく。『韃靼人の踊り』のピアノが奏でられている。



水戸線は栃木県の小山から茨城県の水戸を結ぶローカル線で、横長の座席と吊革だけがある通勤列車だ。筑波山が途中でみえるという以外は何もない単調な田園地帯を貫くだけの路線。終点水戸駅の少し前、笠間駅で降りる。

笠間市は谷間に開けた城下町だ。笠間焼という窯業が盛んな所でもある。旅館やうどん屋が建ち並ぶ古びた市街地の真ん中にある大きな赤鳥居のあるところが笠間稲荷神社。あたりの景観はなんとなく鎌倉に似ていなくもない。

蝉が鳴いている。『鑑真号』に乗る直前、筒井屋という山城の麓に拠った老舗旅館に一泊予約して恋人・雫に会いに行った。殺されてから四か月近くが経っている。

彼女の墓が笠間稲荷神社の裏手にあるというのは知っていたのだけれども、葬式の後、鬼籍に入ったということを認めたくなくて、まだ訪れていなかったのだ。周囲の人々の励ましがあって、どうにか回復してきたので、ようやく墓参りができた。

墓標に先祖代々と書いてはあるのだが、納まっているのは雫だけだ。周囲が贅をこらしているのに対して一畳あるか否かというほどの広さでこじんまりとしている。とはいうものの、瓶やら壺やら焼き物で囲まれて賑やかで、器にはことごとく花が添えられている。焼香し、途中の花屋で買った赤い薔薇を備え合掌する。流すまいと思っていたいた涙がまた溢れてしまう。

目を腫らした無様な顔のままで立ち上がる。すると後ろで声がした。

「もしかして、涼介君?」

振り向くと、葬式の時に一度だけ会った母親がいた。

日傘、白い和服。歳を重ねてはいるが、雫の面影をその人から見出すことが出来る。少し憂いを含んだ切れ長の目、微笑みを浮かべる口元に哀愁を浮かべるところ。

母親は娘を失ってから話す相手が少なくなったのか、一方的に話をししてきて、ときどき、こぼれ落ちた涙をハンカチでおさえる。

妻子ある財界人と恋仲となり雫を身籠ったこと。その人の援助で母子が生活をしていたこと。雫の父親は、若い時から陶芸が趣味で、時間をみつけては笠間にある陶芸家の窯を訪ね教えを乞うていた。母親は滞在先の旅館で働いていて、やがて愛し合うようになる。

「花が添えられた瓶や壺といった焼き物。もしかしてあれは、雫さんのお父様がお造りになった者ですか?」

雫の母親との別れ際、恋太郎はそういおうとして喉元で止めた。判り切ったことだ。生前の雫は、「金銭に不自由はしていない代わりに、『お父さん』っていっていいのか判らないけれど、その人に抱っこしてもらったり遊んでもらったことはほとんどなかった」と口にしたことがある。

(無関心というわけじゃなかったんだな)

僕は母親に見送られて帰りの列車に乗りこんだ。



それから、幻影は、自転車で野猿峠を下る場面に切り替わった。隣の自転車の赤城がペダルを漕いでいる。二人ともブレーキはかけない。

「そうだ、俺たちゃ莫迦だ。あははは――」

八王子市街地の真上は水色の空だ。

笑った赤城がこちらをみた。
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