伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」 第26回/方舟のファイサル (謎の男ファイサルとは)
 

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」

小説、エッセイ、画塾

cinamon B 飛行船シルフィ― cinamon

第26回/方舟のファイサル (謎の男ファイサルとは)

船が大きく揺れるのは外海を航行するからだ。がたがた鳴っているのは、フェリー船ゆえの特徴だ。少し悪寒がする。途中、口髭の音楽家とすれ違った。笛の練習にデッキにいく途中だったようだ。音楽家はポシェットから錠剤を取り出してよこした。

「船酔いだね。これやる、がんばれよ」

なぜか背中を叩かれる。

大部屋に入ると、中国人の老人が片手を上に伸ばしこちらをみて微笑んだ。(起きあがりたい。手を貸してくれ)ということだろう。自力で起きあがることは困難なようだけれども、老人は足取りがしっかりしていて、ひょこひょこと部屋の外へ出ていった。

僕は自分の場所に戻ると、すぐに横になった。大部屋の壁には小窓があってそこでは海水が、ばしゃばしゃ、絶え間なく、ぶつかってくるのが見える。横になりながら考えた。

(伸一さんは彩乃さんが好きなのだろう。出会ったとき彼女と一緒にいた。僕が横取りしたように写ったのかな。それにしてもひっぱたかれたレバノン人、ファイサル。何で『鑑真号』に乗ったんだ? 彩乃さんとは別れているようだけど、つけまわしているんだろうか? どうなんだろう……)

薬が効いてきた僕はそのまま眠り込んだ。

  ☆

夜七時――

目が覚めると、二日酔いのように胃がもたれるような感覚がするのだけれども、眠る前よりはだいぶいい。僕は起きあがって浴室にいくことにした。伸一と明がいた。伸一は、娯楽室にいたときとは違い、いつものように、明るくふるまっていた。

「船酔いが収まったようだね。彩乃さんも心配してたよ」

「伸一さん、彩乃さんのことだけどさ……」

「彩乃さん、いいよなあ。うん、ちょっとランドリーに行ってくる」 

気まずそうな顔をして伸一は洗濯物を入れたバックをもって大部屋から出ていった。明は、伸一の後背を見送っていった。

「僕は珈琲が飲みたくなった。食事、まだだよね。つきあうよ」

明はやさしい。恩着せがましいところをみせずに、まだ船酔いから回復していない僕につき添ってレストランに行ってくれるというのだ。窓の外は暗いが闇というほどではなく、水平線にはまだオレンジ色が残っていた。

明は、平均的な身長をしていて、やや猫背なのが特長だ。京都にある仏教系大学を卒業して、北京にある芸術系の大学に籍を置き、染色を学んでいるのだという。中国人の恋人がいて、帰国したら結婚したいと話した。明はなんでも知っていた。話題が例のレバノンから来た男になった。

「彼は地元マフィアの御曹司って噂だよ。日本にも留学していたことがあって、五六か国語は話せる。派手に遊んでいるらしいね」

「ファイサルと一緒にいるご婦人二人は?」 

「婚約者だよ」

「イスラム男性は四人まで妻をもってもいいからね。特等室を借りればいいものを、どういうわけだか、一等室にいる」

一等室は、特別室のような豪華さはない。四人部屋で二段ベッドで、シャワールームがないため、二等室の客同様に大浴場を利用することになる。

カップをテーブルに置いた明が微笑んだ。
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