伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」 第20回(第2章完結)/方舟のファイサル
 

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」

小説、エッセイ、画塾

cinamon B 飛行船シルフィ― cinamon

第20回(第2章完結)/方舟のファイサル

岩に腰を下ろし、『伊勢物語』の一節「思ひあまり」をそらんじる。

「思ひあまり出でにし魂のあるならむ夜ふかく見えば魂むすびせよ」

口にして後悔した。恋人のことを思うがあまり、魂が身体を抜け出して飛んでしまう。夜がふけ、夢にでたら自分をつかまえていてほしいという内容だからだ。玉響《たまゆら》というものがある。闇に遊ぶ淡く光る雨露のような青い珠のことだ。目が覚めるといつも側にいる。

もし、自分に名残りがあるのなら、縁を切って、涅槃で幸せになってほしいと願った。けれども判っている。夢とうつつの狭間を彷徨っているのは、亡くした恋人ではなく自分自身だということを。

  ☆

僕は物心ついたときに「装飾横穴墓」の渦巻き文様をみた。画家を志した原点だ。それから間もない六歳でランプ先生から絵の師事を受ける。先生のアトリエは揺りかごだ。そこにどうやってたどり着いたかは覚えていない。ただ故郷に帰った僕の肩を真っ先に抱いてくれたのは、先生と同じ匂いがする娘の真希さんだった。ときどき壊れてしまう僕の手をとって、思い出の森に来るのを手助けしてくれたのも、その人だった。

「そう、雫さん、幸せだったんだ。飢えた彼女の父親代わりをして一方的にエナジーを与えていたようにも訊こえるけれど、満たされていたのは君だったの。画家になる才能がないと、悲嘆していた心を癒してくれていたのよ。そういう意味で彼女は『天使』ね」

涙が溢れでる。背中越しに二つの乳房の温もりと心臓の鼓動が伝わってくるのを感じる。僕は胎児のようにうずくまり、その人に抱かれて座ったまま眠りについた。

  ☆

あの日、雫の亡骸を乗せた霊柩車が斎場を出て火葬場に向かうところに僕は立ち会った。知らせを受けた僕は事実を受け入れることができなかった。葬儀の日もまともには立ち上がれず、立ち上がっても何度も転び、同期の赤城の肩を借りてどうにか斎場に着くことができたのだ。

弔問に訪れたポモリ教授が、喫茶店「めらんこりい」のマダムと話しをしているのが訊こえた。

「『伊勢物語』って知っているかね? その中に「白玉か」ってのがある」

「ああ、在原業平と恋仲にありながらも后として入裏することになる藤原高子。『業平が高子をさらって駆け落ちはしたものの、雨宿りをした場所は鬼が住む蔵だった。高子は鬼にさらわれてしまい悔し涙を浮かべる』というくだりですよね」

「可哀想に、雫さん、バタフライナイフで滅多刺しにされたそうだ。涼介君もみちゃおれんよ。なんだか業平みたいだ」

僕は肩を借りてどうにか焼香をしたものの、棺に横たわる恋人の顔をみた途端、がくっと膝を落とす。

長い髪をした物静かな雫。涼介にいつも寄り添っていたその人は、あのころ、誰の目にも幸福に満ち溢れてみえた。出会ったばかりのころならば僕にべったりで、スーパーにも付き合せていたのが嘘のよう。魂を共鳴させたあの夜、「二十歳になったら籍を入れよう」と耳元でささやいてからは、全身に愛が満ち溢れ、一人でいても僕を身近に感じとっていたようだ。それが仇になるなんて……。

  ☆

事件当日は木曜日の夕暮れだった。僕が泊まりに行く前日だ。雫は一人で、駅ビルで買い物をしてから自室に戻ろうとしていた。外堀通りにある四谷学院前の桜並木にさしかかったときのことだ。木の陰に隠れていた男が踊りかかってきたのだ。高級車に乗った「ゲッターズ」風の学生。良く手を挙げた。昔の交際相手で、雫を尾行し、復縁を迫ったが断られ、腹いせに、ナイフで、背中や胸、腹を滅多刺しにしてしまった。

警察の知らせで病院に駆けつけたとき、愛する人は手術室から遺体安置室に移されていた。

それから、事情聴取のため、殺害現場である桜並木の通りに案内されたこのとき、サイドカー仕様のBMWが三両、南に駆け抜けて行くのがみえた。善も悪も、怒りも憎しみも超越した乾いた「風」が吹いていた。

ぶざまにコンクリートの路面に突っ伏し嗚咽する。警官たちが舌打ちしているのが訊こえた。

「ファイサルだ。偶然通りかかった、奴とその仲間が、被害者を刺した犯人を取り押さえた。なまじナイフなんか持っていたから手加減がなかった。戦車をぶんどるような連中だ。素手で半殺しにするなんて造作もない。歯はぼろぼろ。両手両足複雑骨折。一生芋虫だな」

「過剰防衛で立件できなかったのか?」

「外交ルートから圧力がかかった。これ以上は俺たちも関われない」

「日本が法治国家っていうのは嘘かよ」

「――みたいだな」

僕の頭を、螺旋模様が、ぐるぐる回っていた。
 
(第2章 了)




次章はクライマックス。恋人を失って壊れた涼介は大学に休学届けをだす。周囲の励ましや治療により「傷」が回復する。1989年夏、「天安門事件」の余波が残る中国に渡航すべく、横浜発上海行きの国際フェリー『鑑真号』で旅にでる。そしていよいよ謎の男・イスラム聖戦士ファイサルと船上で対峙する。まだふらついた状態の涼介だが――
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