伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」 第5回/方舟のファイサル
 

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」

小説、エッセイ、画塾

cinamon B 飛行船シルフィ― cinamon

第5回/方舟のファイサル

百メートルはあろう長い坂道の戴きにキャンパスがある。校舎は二階から十階建で、古いのが新しいのに代わっていく。在学中は工事の音が絶え間なく響いていたのを記憶している。バス停は坂道の麓にあり、そこには、オレンジ色をした洋風屋根瓦の喫茶店があった。「めらんこりぃい」 十人がようやく座れる。「枯葉」や「セ・シ・ボン」といった古めかしいシャンソンのレコードがかけられていた。受講の間に僕はその店によく寄ったので、マダムは、ときどきトーストやケーキをおまけしてくれたものだった。

「涼介君、彼女とかいるの? いないのなら私の娘を紹介するわよ」

マダムの娘は美咲というたまに店を手伝いに来る女子高生だ。美咲ちゃんが、母親に向かって殴るようなそぶりをした。

梅雨も終りごろだったろうか。隅っこのテーブルに座り詩集の冊子を開く。窓の外は雨。ときおり路地を走る車が水しぶきをあげる音がする。何度も読み返し、人がいないとつい朗読してしまうこともある。夢中で本を読んでいて、ふと、視線を感じたので読むのをやめる。

「あのお、つづけてください。素敵な詩、きれいな声、まるで唄っているようです」

いつの間に来ていたのだろう。渋谷でゲッターズ風の男にからまれているところを、助けたあの娘だった。同じ学校に在学していたのだ。白井珠代を僕が雫と呼ぶようになったのは、雨模様で、その人の席の後ろにある窓の向こうで、庇からさかんに雫が落ちいるのがみえたからだ。

「ちょっと照れるけど……」

僕は、そう前置きして朗読を再開した。詩はジョン・バースの『酔いどれ草の仲買人』。二十世紀を代表するアメリカの作家だ。気に入っていたので何度も原文のまま読んだ。

十七世紀の詩人エベニーザー・クックが、英国の北米植民地メリーランドで、冒険の果てに、けっきょくは、しがない仲買人になるという史実をもとにした叙事詩だ。古典的な
言い回しとかはあるが、執筆された一九六〇年代当時のアメリカを風刺・批判した内容だった。

美咲ちゃんが、古ぼけたラジオのスイッチをいれると、天気予報が台風の接近を告げていた。



寮に帰るとき、マンションが同じ方向だといって、雫がついてきた。多摩センター駅行きのバスに乗る。腰近くまで髪を伸ばした色白の肌、長いまつ毛をしている。顎が少し短い。背丈は僕と同じくらいだった。満席で僕らは抱き合うような恰好になっていた。やわらかな胸元が僕のに重なって鼓動が訊こえた。多摩センター駅の改札口は二階にあり、京王線と小田急線に分かれていて、本屋や飲食店がある。

「じゃあ、ここで――」

雫は京王線の改札口の向こう側にいくのを見届けると、僕は小田急線の改札口を抜けてプラットホームに立った。電車が来て、乗り込もうとしたとき、雫が駆けこんできた。そこもすし詰めで、またも二人は抱き合うような感じになった。電車が走り出す。

「いい?」

雫は頭を肩に乗せた。誘惑というよりは答えを待つ問いだ。彼女なりの「賭け」だったのだろう。
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