伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」 第3回/方舟のファイサル
 

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」

小説、エッセイ、画塾

cinamon B 飛行船シルフィ― cinamon

第3回/方舟のファイサル

僕には姉がいたらしい。十歳近く上。記憶らしい記憶といえば浴衣を着ていたその人が幼い僕をおぶってくれたとき、うなじがみえたこと。そこに耳をやると心臓の鼓動が聴こえたこと。リゾートを真似て、二階バルコニーに椅子を並べ、二人腰掛けて粉末のメロンソーダを飲んだこと。姉は僕が五歳のとき、飲酒運転の車に跳ねられて死んだ



秋晴れの日のことだ。柳がたなびく小さな運河。そこをまたいでアーケード街が続いており、橋のところにベンチがあった。少年は先生と並んで街並みを描いた。

「風を自在に操り、光を支配する。傲慢になるんだ。キャンバスに筆をつける瞬間、画家は神になる」

日頃、穏やかな顔の老画家が発する烈しい言葉だった。

僕は素直にランプ先生の言いつけを守り、みるみる上達し、市民展やら県展にはあたりまえのように入賞するようになった。報告すると老画家はわがことのように喜んでくれたものだ。

ある日、少年はアトリエに行くと、まだ油絵具が乾いていない描きかけのキャンパスがイーゼルに立てかけてあるのをみつけた。裸婦だ。描かれている女性は若く美しい。肘掛椅子に腰かけている女性は短い髪で、肩幅は狭く脇腹から足にかけてなだらかな曲線を描いている。

標準的ではあるが椀型をした乳房、へそ、軽く閉じた両太腿の間に陰部までもが克明に描かれている。

少し遅れてやってきた老画家は、弟子が絵を眺めているのに動揺している様子で、気まずそうな顔をしながら、そそくさと、キャンバスを部屋の隅に片付けて個人授業を始めた。

帰りに、老画家の娘さんと庭先ですれ違う。

「涼介君、父さんが描いた私のヌード、見ちゃったでしょ? エッチだぞ、こら?」

老画家のモデルであり永遠の恋人だ。女子高校に通っていたその人は、少年の頬に手をやってから玄関に入って行った。街に出かけたとき、真希さんに偶然出会うことがあった。はるか遠くから、恥ずかしくなるくらい大きな声で僕を呼んだものだ。彼女に時間があれば、喫茶店でメロンソーダフロートをおごってくれたりもした。自然と微かな記憶しかない姉の記憶を真希さんに重ねていった。

僕が高校生になるころ、東京の大学を卒業した真希さんは帰郷して、父親と同じ道を目指し、さしあたり中学校の美術教師になった。四肢がすらりと伸びていて、まつ毛が長い。髪は長い髪を後で束ねていた。

真希さんは好んで僕を描き、反対に僕が彼女を描いたこともある。着衣のままのときもあったし、脱いだときもあった。それでいて、モデル以上の関係にはならなかった。



至福の季節はすぐ終わりを告げた。高校二年生になったときのことだ。進路指導の教師をして、「税金泥棒」とはいうのではあるまいか。奴らめは口をそろえていったものだ。

「美大なんかいったって画家になれるとは限らんぜ」

両親は、「画家になれよ。美大に行け」と勧めた。田舎者で現実というものを理解していない。そういうところはランプ先生はリアリストだ。

「涼介君、いいセンいってるよ。多摩美くらいには行けるかな。卒業生には優れた画家もいる。真面目にやってりゃセミプロくらいにはなれるさ」

ランプ先生の一言は無能な教師どもの自説押し付けよりも僕には衝撃だった。「セミプロ」っていうのは、「プロ」じゃない。上手な「アマチュア」だ。さりげない一言なのにグサリとくる。

(僕は「神」になれない)

うぬぼれていた少年は冷水を浴びせかけられ、画家になることを断念した。

このとき、朱塗りの渦巻き模様が頭に浮かんだ。子供の時にみた装飾横穴墓の壁画だ。そうだ歴史学はどうだろう。面白そうじゃないか。美大に行くよりは、文学部に属している史学科に行ったほうが就職に関して潰しが効く。くだらない打算と妥協だ。僕は老画家を裏切った。

それでも、ランプ先生は優しかった。高校を卒業して上京する数日前に、最後の指導のあと、晩御飯をご馳走になる。先生、奥さん、そして真希さんを囲んでの、すき焼きパーティーになった。九時近くになって、三人が僕をバス停まで見送ってくれた。

バスがくる直前、先生は僕の肩を抱いた。

「涼介君、野菜ばかり食べてないで、もっと肉も食べなさい。だから女の子みたいな線をしてるんだ」

息が酒臭い。それと身体にしみついた油絵具の匂いがした。

バスに乗る。窓を開け、三人がみえなくなるまで手を振る。

僕が上京してから半年後、ランプ先生は死んだということを母からの電話で知った。風邪から肺炎を併発したのだそうだ。
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