伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」 思い出横丁/恋太郎白書134 (巡礼編)
 

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」

小説、エッセイ、画塾

cinamon B 飛行船シルフィ― cinamon

思い出横丁/恋太郎白書134 (巡礼編)

昭和時代末短編恋愛小説群
恋太郎白書(巡礼編)
第134回 思い出横丁


昔、恋をしてはふられてばかりいる若者がおり、人は指を差して恋太郎《れんたろう》と呼んだ。花や紅葉《もみじ》がはらはらと漂う、そんな若者であった。



 学生のころに行った東京新宿西口商店街は、故郷の田舎町に似ていなくもない。慕情を誘うのは、戦後直後の闇市が前身だからだろう。都内のマンションに棲む恋人の雫は、小洒落た下北沢を好んだが、恋太郎に合わせてくれたものである。

 商店街には、「思い出横丁」という狭い路地があって、広さ数畳の食堂店舗が建ち並んでいる。恋太郎たちが店に入るなり、ベニヤの壁板に広告裏白を使った貼り紙が目に飛び込んでくる。モツ煮、卵焼き、鮭の焼き魚。マジックで殴り書きしてセロハンテープでとめただけのメニュー。初秋の夕暮れ時で、サラリーマンの客たちが、ぽつぽつと入店しだす。

 並んで座った雫は、カウンターの合い向かいにいる店主に卵焼きと大根おろしのセットを頼んだ。

 恋太郎といえば、まだ口にしたことのない焼き魚が気になって仕方がない様子だった。割と安価なので、親仁に注文する。

 すると怒鳴り声がしたので振り返る。声の主は路地向かいの老店主で、酔っ払い客がからんだのだっため、怒鳴り返したのだ。驚いた客が外に飛び出し逃げた。

 長箸を手にした親仁が、「あそこんちは短気でいかん」とつぶやきながら炭火網の上の魚をひっくり返したとき異臭が漂いだす。

 軒先を通りかかった小学生たちが、「わっ、臭い!」と悲鳴を上げて逃げ出し、サラリーマン風のたち客も顔を見合わせている。

「『くさや』の干物だ。酷い匂いだけれど美味いんだ」

 カウンター横の席に座っている上司とおぼしき中年の男が連れの若い部下に説明していた。

「ほんとにもう!」

 滅多に怒ることのない雫が、珍しくご機嫌斜めになっている。黒焦げの焼き魚が四角い中皿に載せられて前に出されたので、恋太郎は申し訳なさげに箸をつけた。

 帰りの地下鉄電車に乗ると、雫が異臭のこびりついたブラウスの袖に鼻をやる。口をきいてくれない。部屋まで送り届けたとき、別れ際に交わす口づけもキャンセルされてしまった。



 十年後の一九九九年十一月二四日。会社の命で富山県高岡市に派遣させられていた恋太郎が、宿舎にしているビジネスホテルの食堂で夕餉をとっていると、ニュースが始まり、「思い出横丁」が火災で全焼したことが報じられた。

 ゆえに鬼籍の人となった雫と行ったころの店と街並みは失われてしまい、瞳を閉じたときにだけ風景が蘇るのである。


(稿了)





【登場人物】

恋太郎:失恋の天才児。

雫《しずく》:故人。恋太郎の学生時代の恋人。


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genre : 小説・文学

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