伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」 雫《しずく》の墓標  恋太郎白書133 (巡礼編)
 

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」

小説、エッセイ、画塾

cinamon B 飛行船シルフィ― cinamon

雫《しずく》の墓標  恋太郎白書133 (巡礼編)

昭和時代末短編恋愛小説群
恋太郎白書(巡礼編)
第133回 雫《しずく》の墓標


昔、恋をしてはふられてばかりいる若者がおり、人は指を差して恋太郎《れんたろう》と呼んだ。花や紅葉《もみじ》がはらはらと漂う、そんな若者であった。



新幹線小山駅に行き、そこから在来線である水戸線に乗り換える。

水戸線は栃木県の小山から茨城県の水戸を結ぶローカル線で、横長の座席と吊革だけがある通勤列車だ。筑波山が途中でみえるという以外は何もない単調な田園地帯を貫くだけの路線。終点水戸駅の少し前、笠間駅で降りる。

笠間市は谷間に開けた城下町だ。笠間焼という窯業が盛んな所でもある。旅館やうどん屋が建ち並ぶ古びた市街地の真ん中にある大きな赤鳥居のあるところが笠間稲荷神社。あたりの景観はなんとなく鎌倉に似ていなくもない。

まだ蝉が鳴いている。暑さ寒さも彼岸までというのだが、当日は夏の名残があった。筒井屋という山城の麓に拠った老舗旅館に一泊予約して学生時代の恋人、雫《しずく》に会いに行く。

あれから何年経つというのだろう。雫が止めた時間は、昭和から平成になってしまった。

大学三年生から四年生になろうという春に、雫は、自分と付き合う以前の交際相手に刺殺された。墓が笠間稲荷神社の裏手にあるというのは知っていたのだけれども、葬式の後、雫が鬼籍に入ったということを認めたくなくて一度も訪れていなかったのだ。

周囲の人々の励ましがあって、どうにか立ち直り学校を卒業し就職することが出来た。



墓標に先祖代々と書いてはあるのだが、納まっているのは雫だけだ。周囲が贅をこらしているのに対して一畳あるか否かというほどの広さでこじんまりとしている。とはいうものの、瓶やら壺やら焼き物で囲まれて賑やかだった。墓参りの日だというためか、器にはことごとく花が添えられている。

焼香し、途中の花屋で買った赤い薔薇を備え合掌する。流すまいと思っていたいた涙がまた溢れてしまう。

目を腫らした無様な顔のままで立ち上がる。すると後ろで、「もしかして、貴男は恋太郎君?」と呼びとめる声がすので振り向くと、葬式の時に一度だけ会った母親がいた。

日傘、白い和服。歳を重ねてはいるが、雫の面影をその人から見出すことが出来る。少し憂いを含んだ切れ長の目、微笑みを浮かべる口元に哀愁を浮かべるところ。

母親は娘を失ってから話す相手が少なくなったのか、一方的に恋太郎に話をしてきて、きどき、こぼれ落ちた涙をハンカチでおさえる。

妻子ある財界人と恋仲となり雫を身籠ったこと。その人の援助で母子が生活をしていたこと。雫が小学生になったとき、伯父ということにして夏休みカヤックツアーに参加し川下りをしたこと。

――そういえば自分も夏休みに父、勇作とカヤックで川下りしたことがある。長い髪の少女がいて、母親、それに伯父といっていた紳士と一緒だった。あの少女が雫だったのか!

雫の父親は、若い時から陶芸が趣味で、時間をみつけては笠間にある陶芸家の窯を訪ね教えを乞うていた。母親は滞在先の旅館で働いていて、やがて愛し合うようになる。

「花が添えられた瓶や壺といった焼き物。もしかしてあれは、雫さんのお父様がお造りになった者ですか?」

雫の母親との別れ際、恋太郎はそういおうとして喉元で止めた。判り切ったことだ。生前の雫は、

「金銭《おかね》に不自由はしていない代わりに、『お父さん』っていっていいのか判らないけれど、その人に抱っこしてもらったり遊んでもらったことはほとんどなかった」

と口にしたことがある。

(無関心というわけじゃなかったんだな)



宿に一泊した恋太郎は、翌朝もう一度雫の墓を詣でてから帰りの列車に乗りこんだ。

(稿了)



【登場人物】

恋太郎:失恋の天才児。

雫《しずく》:故人。恋太郎の学生時代の恋人。


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