伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」 空気感染/掌編小説(加筆再掲
 

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」

小説、エッセイ、画塾

cinamon B 飛行船シルフィ― cinamon

空気感染/掌編小説(加筆再掲


 
田村恋太郎たむら・れんたろうはかつて悪友にきいたことがある。
 悪友・
川上愛矢かわかみ・よしやのヨシヤという名前の由来だ。それはヨシュヤという古代の人物からとっていた。ヨシュヤといえば、一人は、旧約聖書にでてくる豪傑、もう一人はイエス・キリストにつけた異名である場合とが挙げられる。もちろん後者だ。父親が牧師だから当然のことだろう。さらに、愛の矢、という字にして、さりげなくギリシャ神話にでてくるビーナスの息子・キューピットとかけている。
 恋太郎に愛矢。……恋太郎は流し髪の高校生で身長170センチほど。愛矢といえばその恋太郎より頭一つ大きい。二人とも四肢がすらりと長く伸びている。そういえばきこえはいいが、前世紀ならいざしらす、いまどきは十人並みといったところで、とくに目立つイケメンというわけではない。恋愛コンビなどと皆はいうのだけれども、女子の同級生たちから、モテる様子は一向にない。モテない奴らのくせにという皮肉が込められていたのは確かなことだ。
 秋。
 青空が広がっている。
 昼休みの校舎屋上だった。
 最近、愛矢に元気のないことに、恋太郎は気づき肩を叩いた。
「忘れられないのか?」
「忘れられない」
「いつかまた会えるさ」
「根拠は?」
「ない」
 恋太郎は夢見るような眼差しを、遠くにみえる水平線にむけた。
     ☆
 修学旅行のときだった。
 奈良県・東大寺の裏山にある芝を植えた斜面で、そこを抜ける小路があった。
 二人の高校生がそこをあがっていった。
 蝶々が舞っていた。
 すると、韓半島の民族衣装・チョゴリを着た女子学生とすれ違った。
 白に藍色袴のような紅のスカートを胸の所で締めていた。
 長い黒髪を優美に結わえた少女だった。
 風が吹いた。
 彼女が、ちらっ、とこちらをみた。
 視線が重なる。
 どきっ。
 愛矢は坂道を下ってゆく彼女にみとれて後ろ姿を追いかけた。 
 鹿が視線を遮り、彼女は建物の陰に隠れてみえなくなった。
     ☆
 たったそれだけの出会いだった。
 愛矢が、フェンスにもたれかかって、
「あのこにはもう会えないんだよな。一度だけでいい。口づけできたら死んでもいい」
 と、つぶやいた。
 恋太郎は少し意地悪く微笑した。
「じゃあ、すぐに死ねる。愛矢は空気を吸うだろう。空気はつながっている。……ということは、あの娘の唇とつながっているんだ」
「──で、毎日口づけしているというわけか?」
「そのとおり」
 愛矢は苦笑した。
「そんなことをいつも考えているのか、恋太郎? おまえってバカだな」
「うん、バカだよ」
 恋太郎は、カバンからB5サイズのスケッチブックを取り出して愛矢に渡した。記憶を頼りに愛太郎は少女を描いていたのだった。
「似ていない……」
「じゃあ、いらないな」
「いらん、とはいってない」
 実をいうと恋太郎は七歳から画家について絵を修行しており、何度もコンクールに入賞していて、セミプロ級の腕前だった。
     ☆
 翌朝、校門の手前の道を恋太郎が歩いていると、後から呼び止める声がした。振りむけば愛矢がおり、かすかだが、唇にパステルの色がついていた。
定着糊フィキサーチーフを切らしてたんだ。愛矢、口づけしたのかい? 絵の具は鉱物質で毒だってこと、知っているだろう? バカだなあ」
「口づけしたかったのだから仕方あるまい。そうさ、僕はバカさ」
 愛矢は、胸のところで十字を切って笑った。
 ――素敵な思い出をありがとう。

    END

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genre : 小説・文学

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