伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」 伯爵令嬢シナモン 『二十号文書』06・完結
 

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」

小説、エッセイ、画塾

cinamon B 飛行船シルフィ― cinamon

伯爵令嬢シナモン 『二十号文書』06・完結



 名古屋駅を出た列車が岐阜に達しようとしたとき、黄金の髪を後ろに結わえた若い貴婦人が、ロシア人風の男が座っていた席に座った日本人女性の前に立って、スカートの両袖をつまむ古風な挨拶・カーテシーをして氏姓を名乗り微笑むと女性も自然と微笑み返す。

 相手は日本人女性としては背丈のある、欧風の骨格をしている。

「ここにイワン様がお座りになっていたということを貴女は知っていた。というより、手荷物預かり所に濱田教授の鞄が預けられたこと、一等席のどこに濱田教授が座るか、初めから連絡を取り合って知っていた。 間違って手紙を入れたのではなく、乗り込んでくる甘粕大尉たち官憲の皆さんの検閲を予想し、当事者とは無関係である博士を利用してここまで運ばせる。いかにも怪しげなイワン様は手紙を奪って下車。官憲が捕まえたのだろうけれども肝心の手紙は持っていない。手紙は貴女が座ったときに回収した。違いません?」

「手紙を回収、どういうことです? この方がいらっしゃるまで座席には何もありませんでしたよ」

 ボクがそういうと、シナモンは、座席の台座に布を貼りつけたところに鋭利な刃物で切った跡を指さした。

 ――ああ、そういうことか!

 ボクも事件経緯の大半を悟った。

「満州に日本陸軍将兵が大量投入されているとのことです。甘粕大尉がおっしゃるような国益に関する極秘事項とすれば、手紙は日本軍が北に行くか南に行くかというという内容ではありませんか?

 このことが気になる国といえばソビエト・ロシア。同国は、革命直後に共産勢力の拡大を嫌った日本軍が干渉して出兵してきたというトラウマがあり、そんな筋書が考えられます。あくまでも憶測ですが」

 日本女性は困惑した表情である。

 濱田博士も、「なるほど」と、うなずく。

 姫様は続けた。

「甘粕大尉のお役にも立ちたいですけれど、この件に関しましては日本政府とソビエト政府が話し合うことで、一介の旅行者である私どもが関わる内容ではありません。そういうことでよろしいですね?」

 顔をこわばらせた女性が無理に笑みを浮かべる。

    ☆

 岐阜駅を経由した列車は琵琶湖畔を抜け大津駅から京都駅に入った。到着した京都駅で濱田博士と別れる。その際に博士が連絡先を書いた紙片を姫様に渡す。

「私の自宅と職場の京都大学だ。貴方の父上にはお世話になった。御恩返しといってはささやか過ぎるが京都・奈良の見どころをご案内したい。――そうそう、レディー・シナモン。昔、貴女の父上に招かれてレオノイスを訪れたことがある。貴女は環状列石の前にいて、私を含めた客たちの前から姿を消し、ティーパー・ティーに戻ったわれわれよりも早く城に戻って出迎えてくれた。あのときの謎解きもして欲しい」

 姫様、レディー・シナモンは、思い出すように、博士に答えた。

「トリックというわけではなく、偶然が重なったのだと考えられます。列石のあるあたりには羊が放牧されています。群れが近くにきたので、恐らく博士を初めとしたお客様方は気をとられたのでしょう。その間に私は、子供一人が通れる岩の裂け目を通り、崖の中腹にある、犬走りのような小路を通って帰ったのだと思います。レオノイスの子供なら誰でも使う近道で、崖の上からはみえません」

 濱田博士が深くため息をつく。

「まったく、真実という奴は、事物事象のちょっとした『ポケット』に収まっているもので、それをみつけられるか否かで表に出る出ないが決まるのだということをつくづく思うよ」

 姫様とボクは、タクシー乗り場で、濱田博士と別れた。このとき、先に、タクシーに乗った二人連れをみかけた。 一人は、座席下の「ポケット」から例の手紙を抜き取った女性。もう一人は、ドイツ人風の男性だった。女性が乗りこむと、彼は抱き寄せキスをした。

 唇の動きからこんなふうに話しているのが判る。

〈ゾルゲ様、若い貴婦人にお会いしましたの〉

〈知っているよ、ミヤコ。レディー・シナモンだろう。『コンウォールの才媛』と呼ばれていてね、『その筋』では有名人なんだ〉

〈レディー・シナモン? 『コンウォールの才媛』? 憶えておきますわ〉

 後になって判ることだが、ドイツ人風の男性はリヒャルト·ゾルゲといい、日本人女性は愛人でミヤコこと三宅花子といった。ゾルゲは、ドイツの高官であったのだが、実は共産主義者(コミュニスト)で、ソビエト・ロシア側につき、スパイになっていた。第二次世界大戦勃発後、彼がソビエトに送った情報は、中国大陸にいた日本軍がロシアにむかうか、南方にむかうかというもので、彼の国の勝利に貢献することになるのだ。

     END
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theme : ミステリ
genre : 小説・文学

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