伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」 21/仮想電脳都市コイマチ1930 『雨宿りの雫(2)』
 

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」

小説、エッセイ、画塾

cinamon B 飛行船シルフィ― cinamon

21/仮想電脳都市コイマチ1930 『雨宿りの雫(2)』

 夏休みに入った第一週に、僕と雫は上野駅から高崎線の急行に乗り、そこから信越本線で軽井沢駅にむかった。現在は新幹線の開通によって寸断されてしまったが、当時はローカル線でも群馬県から長野県にいくことができたのである。列車は、途中、横川駅で電気機関車EF63に連結された。牽引専用機関車で、これがなければ国境の碓氷峠を越えることはかなわない。駅でしばし待つ。プラットホームを歩いてきた弁当売りが車窓のところで止った。
「ここの駅弁って釜飯で有名みたい。素焼き釜に入っているんだって。ガイドブックに書いてあるわ」
 げんきんなもので、こないだまで半べそをかいていた雫が笑っていた。
 牽引された列車が軽井沢駅に着く。街路樹は紅く色づいていた。コンサートホールは、アールデコ様式・二階建て洋館のある敷地地下に設けてあった。資産家の別荘で、ピアニストたちは良家の子女たち。客はその親族や友人が多かった。
 長い髪に潤んだ瞳をした少女は、青いドレスに着替えていて、まるで異国の姫君のよう。細くしなやかな指が鍵盤を弾じ、得意とする「韃靼人の踊り」を奏でだす。
 僕は念じた。(そうだ。空気の色、光の連鎖を表現するんだ)
 雫は絶妙な和音で余韻を残すようにしていた。後ろの席で聴いていた恋太郎は、鳥肌が立つような感銘を受けた。ふと横をみると、黒いスーツ姿をした初老の紳士がいて気になった。音楽会が終わったとき、その話を雫にした。
「父よ。壇上からみえたわ」
 父親である紳士は言葉を交わさずに帰ったのだ。少女時代の大半を母親と過ごしてきたその人は、喜んでいるようにも、悲しんでいるようにも映る。
 軽井沢ピアノコンサートの帰りは、僕のアルバイトの都合があり、二人して夜行バスで帰ることになった。その際、雫が、「今度の日曜日、パスタでもいかが?」と誘ったので恋太郎は部屋を訪ねることになった。
     ☆
 僕は雫に、「今度の土曜日に、パスタでもどうです」と誘われて部屋を訪ねるようになった。五階建てのマンションで一DKルームを借りている。雫の部屋は五階。なかに入ると新築特有のにおいがする。学生が一人で住むには贅沢すぎるのだが見事なくらいになにもない。
 バルコニーのサッシにパールホワイトのカーテン。八畳のダイニングキッチンは、フローリングで、クッションが二つ、脚の短いテーブルが一つある。丸の内線というのは半端な出来具合の地下鉄で、ところどころ地上を走る。バルコニーから、丸の内線を望むことができる。僕は都会というものを眺望し楽しんだ。
「すごい部屋だね、雫さん」
「私って、私生児なの。地方財閥っていうのかしら、お父さんってよんでいいのかどうか判らないけれど、遺伝子の半分をくれた男性は、会長をしていて、母は愛人。私は、お金にだけは不自由することがなかったけれど、そのぶんその人に抱っこされたことはなかった。上京してからは会ってないかな」
 雫は、淡々と身の上を語りだした。
「悲しそうにみえないけれど、寂しくなかったの?」僕は訊いた。
寂しくはなかったよ。そのぶん、お母さんが愛してくれたから」
 彼女は、冷蔵庫から、イタリアワインをとりだして、グラスに注いだ。ワインなど口にしたら、「きざだ」と鼻で笑われる時代だ。学生たちはビールか、日本酒、あるいは安物のの焼酎を飲む。洋酒は全般に関税で値段が吊り上げれていた。 トスカーナ産の赤ワイン。雫は一口含んだとたん、突然、がたがた、震えだした。
「どうした?」
「うん、なんでもない。ちょっとシャワーを浴びていいかしら。身体を温めると治るの」「そう」
 曇りガラスのむこうがわに、ピンボケした若い娘の裸がみえる。恋太郎の心臓は、どきどき、と高まる。(雫さんは細すぎるな。絵のモデルにはむかないよ)とつぶやいて、大きな冷蔵庫を勝手に開けて、野菜を取出し、手慣れた手つきで、野菜をきざみ、オリーブ油を敷いたフライパンに、それと一緒に、ゆでたパスタを炒めだす。
 皿にパスタを盛ろうとしたとき、雫がバスタオル姿で、浴室から顔をだして、ちょっと顔をだし、
「あ、恋太郎君、お昼に誘ったの私なのに、つくらせちゃってごめんなさい」
「料理つくるの好きなんだ。気にしなくてもいいよ」
「どういうわけだか、ここのお部屋って脱衣場がないの。ちょっと後ろをむいててもらっていい」
「気が利かなくてごめん」
 僕が後ろをむいた。雫が着替えている様子はない。否、近づいて背後にきている。バスタオルが落ちた。二つの乳房の温もりをシャツごしの背中に感じ、あらわとなった両腕が、僕を柔らかく抱きしめる。まだ濡れた長い髪が首筋に触れた。
「一緒に暮らしてほしいの。お願い」彼女の腕は湯気がたっていた。
 僕は目を白黒させるほかてだてがなかった。
 寝台に横たわり天井をみる僕は雫の横顔をまたながめた。毛布のなかの雫は全裸で、僕にすがりついている。眠りにつくまでは、硬直したようになって震えていた。そのくせ熱病のように汗ばかりはたくさんかいている。僕は理解した。彼女が求めている愛の形は、「男」としての僕ではなく、接点の少なかった父親の代用だったのだと。
 雫は、両太腿を僕のに絡め、胸のところに、顔を押しつけ寝息をたてている。手もつけずに裸の女を抱いて横たわるということは初めこそ、心臓の高鳴りを楽しむことができたとはいえ、次第に慣れてくると、辛くなってくる。
 僕は服を脱いではいない。シャツ越しに伝わる二つの乳房のやわらかさ、ズボン越しに右腿に伝わる淡いしげみの感触すらも当に消えてしまっていた。痩せっぽちの雫が、このように重く感じるのはどうしたことだろう。同じ姿勢で動くことはできず、背中やら、脚、腕までもがしびれ、昼食のパスタを食べ損ねたことによる空腹も限界だ。僕は、頭を少し動かして、壁の隅にあった目覚まし時計をみると三時。僕が少し動いたので雫が目を覚ました。
「ごめんね、恋太郎君」
「パスタ、食べようか?」
 僕は、冷めてしまったパスタをフライパンでもう一度火を通し、皿に盛った。その間に雫が服を着てテーブルに座って、ちょと、温くなったワインをグラスにつぎ足す。僕が席に着くと、二人は黙々と食べだした。食べ終わってしまうとすることがない。一時間ほど、気まずい顔になり下をむいていた。はじめに切り出してきたのは雫だ。
「恋太郎君、また遊びにきてくれるかなあ。今度は、ちゃんと、私がランチをつくるから」「うん、楽しみにしているよ」
 僕が笑顔をみせると、壊れそうな表情をしていた雫が、はしゃいぐようなしぐさをした。夜の八時を回ったとき、玄関先で、「じゃあ、帰るね」といってドアノブを回しかけたとき、雫が手を広げ、僕の背にしがみつく。
「寂しかったのかい?」
 雫がうなづき、振り返った恋太郎の唇に自らの唇を重ね合わせる。
「半日後には会えるさ」
「そうね、半日後には会えるんだよね。一日が十二時間だったらいいのに」
 けっきょく、僕は、終電で寮に帰った。
スポンサーサイト

theme : 自作小説(ファンタジー)
genre : 小説・文学

line

comment

Secret

line
line

line
Google ペイジランク
ページランク-ナビ
line
奄美剣星
line
文鳥貴族
文鳥貴族
line
最新記事
line
「怪盗めろん」

 

line
「文鳥王トリスタン」
 
line
ブクログ
line
小説家になろう
line
amazon書籍
line
アルパカ版の恋太郎です
line
映画『副王家の人々』より
副王家の一族 
line
イアリング
 ekubo
line
チャイナドレス
chainadoress
line
ポーズ
sofa
line
魯迅記念博物館
inu
line
陽だまりの乙女
usagi
line
裸婦
うつぶせのジャスミン
line
sakasu
line
打ち上げ花火をあげられる四季の風景時計
line
PC広告Amazon
line
テーブルと椅子
椅子3   
line
sub_line
プロフィール

奄美剣星 (狼皮のスイーツマン)

Author:奄美剣星 (狼皮のスイーツマン)
1930年前後の歴史推理小説 シナモンと素敵な旅をどうぞ

line
ranking 1
 
line
ranking 2
人気ブログランキングへ
line
置手紙
おきてがみ     
line
Twitter ぼたん
Sweetsman7をフォローしましょう
line
レッドバロン
line
検索フォーム
line
QRコード
QRコード
line
所収作品について
文献・画像等引用の場合は引用元を記載。自作小説倶楽部作品著作権は各著者に帰属。それ以外の文藝作品・絵画写真画像に関する諸権利は当該ブログ管理人に帰属。無断複写転載を禁じます。
line
カジュアルのシナモン
シナモンアップ 
line
リンク
line
マラッカ要塞
marakka
line
珈琲館の割れ甕
城南
line
地図
line
草原の乙女
sougenn
line
バー
eruhurio  
line
海へ行こう
umiheyuku2
line
祖母
  umiheyuku 1
line
洗い髪
araigami
line
癒しの音楽
line
sub_line