伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」 第18回/伯爵令嬢シナモン 『飛行船の殺人』第2章9
 

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」

小説、エッセイ、画塾

cinamon B 飛行船シルフィ― cinamon

第18回/伯爵令嬢シナモン 『飛行船の殺人』第2章9


オークルのまな板

挿絵(By みてみん)

 午後十一時あたりだったか、プロムナードデッキからは島の灯りがみえた。乗客の一人がスチュワートに訊ねると、「済州島上空です」と答えているのが訊こえた。黄金の髪をした若い貴婦人が、自室に戻ってきたとき、ベットメーキングは終わっていた。枠がS字つた文様になったソファは寝台に組み直されていた。花をモチーフにした極彩色のガラス出来た横壁の読書灯が、幻想的な柔らかい光を放っている。
(問題を整理しなくては――)
 寝台に腰かけ、読書灯をつけたテーブルに向かう。上には、殺人現場で博士が書いたメモ書き、中居が撮った現場写真、船長が準備してくれた飛行船シルフィーの概略図、船医の所見を示したカルテが並んでいる。

 殺人事件の概要をまとめてみよう。
 メインデッキは上下二層となっている。上部デッキにあるのが乗客キャビンだ。博士の部屋が一号室で、シナモンの部屋が二号室である。いずれも乗客キャビン右舷にある。殺人が発生した部屋は乗客キャビンの反対側にある左舷の二十号室だ。そこは、降り口の螺旋階段からみて左右に開いた通路のうち、左側通路の最も奥の部屋になっていた。
 被害者たちについては次のことが判った。「将軍様」と呼ばれた男の本名は劉真栄という。生年は一八八五年、出身地は中国淅江省。地方軍事政権である軍閥の最高権力者で彼の地に地盤がある。殺害現場の二十号室を利用。取り巻きたちは、出身地が「将軍様」と同郷で二十一から二十三号室利用していた。
 死亡推定時刻は、死後直後から発生する死斑の状態で判断できる。死斑は、被害者が仰向けで死んだとすれば背中側にでき、うつ伏せで死んだとすれば胸側にできる。ゆえに犯行を偽装したかどうか見破る基準となるのだ。「正午から午後五時の間に殺害されている。毒物による殺害と考えられるが、種類を特定できない」
 船医は、被害者たちの死亡推定時刻と死因についてそのように診断した。
 被害者と遺留品の状態はどうだろう?  
 四人は椅子やソファでのけ反った恰好になって死んでいる。争ったり動かされた形跡はない。主な遺留品は、カードゲーム一式、ワインボトル、チーズの盛り合わせ皿がある。カードは、ゲーム途中で、四人の殺害後に偽装された形跡はない。
ワインボトルは七本ある。未開封のボトル四本、開封済みのボトルが三本。開封済み三本のうち一本は飲みかけだった。ラベルには、すべてがブルゴーニュ産であることが表示されていた。飲みかけの一本だけがグラン・クリュ。ほかは、プルミェクリュの葡萄畑で収穫されたものだ。
 有名なフランス産赤ワインのボルドーは、粘りのある渋みが効いた濃い赤であるのが特徴だ。昔からフランス料理の主体となる獣肉・鶏肉には欠かせないものとされてきた。主な銘柄には、グランクリュ、プルミエクリュ、ヴィラージュの三つが挙げられる。標高の違う村別に収穫された葡萄だ。グランクリュは二百八十から三百メートル、プルミエクリュは二百六十から二百八十メートル、ヴィラージュは二百八十メートル以下という具合だ。
 もう一つ気になることがある。厚切りで食べかけになっていたチーズの盛り合わせだ。銘柄は、ボニファッツというドイツ・バイエルン産白カビチーズである。クリーミーな舌触りで、地元産のビールと白ワインと相性がいい。名前は、ベネディクト派修道院の高僧ボニファティスに由来する。

 犯行現場と遺留品の所見をまとめてみる。
 現場所見は次の通りだ。被害者たちに刃物による刺し傷や首を絞めたような跡はない。苦しみもがいた様子もなく、口からは唾液、胃液、血すらもでていない。酔ってうたた寝したまま息を引き取ったようだ。何か特殊な毒物使用による殺害と考えられる。
 遺留品の所見は次のとおりだ。七本のボトルのうち、被害者たちが最後に口にしたのは、いうまでもなく飲みかけのボトルだ。毒物はこれに混入されている。六本のボトルがプルミエクリュのもので、問題のボトルがグランクリュのもの。しかしだ。
「ボルドーにボニファッツなんて――」
 十八歳を迎え新成人となったシナモンは、それまで飲酒をしたことはないのだが、幼少の頃から両親に連れられ各界名士たちのパーティーに参加したことが多く、酒とチーズに関する知識は豊富だ。
 「将軍様」はワイン好きのようだが通ではない。この組み合わせは最低! 一般にワインとチーズは同一地方の銘柄が相性がよいとされる。産地が離れ過ぎだ。しかも白ワイン向きの白カビチーズを肴に、赤ワインで飲むとはどういう感覚をしているのだ。いかにも成り上がり者の俗物といわざるを得ず、飛行船搭乗のときの態度を思い起こすと許せなくなる。生前は殺されて当然のことをしでかしているに違いない。

 シナモンは、最後の内容――死者に鞭打つようなことまでは……メモしなかった。時計をみると深夜十二時を回っている。ハンドバックから折りたたんだA3サイズの紙を一枚取り出してサイドテーブルの上に敷いた。その上に、フィールドノートとペンを置く。やがてその人が後ろのリボンをほどくと、ふわっ、と長い黄金の髪が舞い降りる。色ガラス読書灯の明かりが消された。
 殺人現場から部屋に帰るとき船長に、明朝の朝食後から目撃者の証言と容疑者の絞り込みを行うことを伝えてある。事情聴取場所は右舷奥の読書室においてだ。
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