伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」 第17回/伯爵令嬢シナモン 『飛行船の殺人』第2章8
 

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」

小説、エッセイ、画塾

cinamon B 飛行船シルフィ― cinamon

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第17回/伯爵令嬢シナモン 『飛行船の殺人』第2章8

 下部デッキから、螺旋階段を昇って、上部デッキに出たところがT字路だ。左右に分岐した通路は、奥にいくとそれぞれ内に向かって直角に折れ曲がる。螺旋階段からみると乗客キャビン通路は、ちょうどコの字を描いたような形になっていた。
 通路のうち、右舷側にあるのが十二部屋、左舷側にあるのが十三部屋だ。右舷側が左舷側より部屋数が一つ足りないのは、一部屋が掃除用具をしまう物置部屋となっているからで、それゆえ客室は二十五部屋だ。
 船長とスチュワートの青年が案内した部屋は、乗客キャビン右舷側で最も奥の二十号室であった。ミッシェル青年がドアを開けた。人の気配はない。酒と煙草の匂いがする。中居が部屋をのそきこんだ。時計の針は午後九時を回っていた。
「ぎゃあああっ。ししっ、死体っ!」
 中居を払いのけて、佐藤が部屋を検分した。
「やっぱり、こいつら、殺されたか──」
「みての通り、酒を飲みながらカードゲームに興じていたときに死んだようだ」
 船長がいった。
 「将軍様」一行四名が全滅していた。遺体は、いずれもソファにのけ反った格好になっていた。争った様子もなければ外傷もなく、毒殺の可能性が高い。
 黄色い壁の部屋の中央には、アールヌーボー様式のテーブル、サイドテーブル、二つの椅子、壁際にはソファーベッドが配置されていた。またテーブルには、ゲーム中のカード、人数分のグラス、飲みかけの赤ワインボトル一本とグラス四個が、さらに、サイトテーブルの上には呼び鈴、床には未開封のボトルが四本、開封されたボトルが三本置いてあった。 船長は、シナモンを振り返って帽子を外した。
「ご婦人に、死体なぞみせるべきではないということは承知はしている。じゃがのう。先日、儂が父上にお会いしたとき、姫様をこんなふうに自慢しておられたのを訊いて、藁にもすがる思いになったんだ」
 すまなそうにして話しを続けた。
「姫様は、修道院時代に、警察に協力して、いくつかの事件を解決した。『コンウォールの才媛』という異名もこのときついたそうだね?」
 シナモンは、まだ部屋の外におり、船長に訊いた。
「シルフィーが東京に着いたとき、地元警察に調べてもらうべきではないでしょうか?」
 船長は激しく首を横に振った。
「東京で警察を? 冗談じゃない。お客様を飛行船に足止めすることになるし、運行にも支障をきたす。飛行船フライトには莫大な経費がかかっているんだ。何より、事件でシルフィーが受けるイメージダウンを最小限にとどめたい」
 老紳士が訊いた。
「それには、東京到着後に警察に調べさせるのではなく、フライト中に事件を解決し、犯人を警察に引き渡したい。そうおっしゃりたいのですね、船長?」
 船長は憮然として、「そうです」と短く答えた。
 シナモンは、やや間をおいてから、当惑している船長の顔をのぞきこんだ。
「遺体と遺留品には手をつけていませんね?」
「もちろんだとも。姫様、引き受けてくれるんだね?」
 腹のでっぱった船長が、小躍りしてシナモンの手をとった。
「はい。乗員名簿、乗客名簿、それから飛行船の見取り図を下さい」
 そういって、黄金の髪をした貴婦人は、「将軍様」の部屋の全容を入り口から調べ始めた。中居は佐藤に小声でいった。
「すんげえっ。姫様、肝がすわってる。遺体をみても悲鳴をあげないんすっね」
「そうだな」
 佐藤が中居に同調した。
 二人の言葉をきいたシナモンは振り返っていった。
「遺跡を調査していると、ときどき遺体がみつかるときがあるのです。大方、溶けているか白骨化しておりますが……」
 シナモンは、ハンドバックから調査に使う白い手袋を取り出して、ドレスアップの手袋と交換した。
「河川や沼地といった低湿地の遺跡では遺体が腐らずに残っている場合があり、私は過去にそのような遺跡調査を行っています。ですからパニックにはなりません」
 その人が振り返った。
「中居様、お手持ちのカメラのフィルム残数は? 現状の記録撮影をして戴きたいのです」
「光栄です。俺をばんばん使って下さい」
 中居が部屋の撮影を始めた。
 シナモンは、ハンドバックからフィールドノートとペン、それからメジャーを取り出した。フィールドノートは方眼目がついた手帖。メジャーはドイツのヘキトマス社製携帯用だ。これらの小道具は遺跡調査の過程で見取り図を作るのに役立つ。
 エドガー博士は、半ば厭きれ、また感心した。
「レディー・シナモン。君はいつも、そんなものを持ち歩いているのかね?」
「私の旅の目的は、世界中の遺跡と博物館を巡ることです。論証に写真だけでは不十分ですから……」
「君の論文をすぐにでも読んでみたいよ」
 その人が微笑んだ。
 若い貴婦人がしゃがみ、立ち上がり、くるりと回転してこちらを振り向いたかと思えば、また後ろを見遣る。それからスチュワートのミッシェル青年に手伝ってもらい、遺体と遺留品の間隔をメジャーで測り、一気にフィールドノートへ現場の概略図を描きこんでいった。
 普通、人間がまとめて数値を読みとるのは七つまでとされている。ところがこの人は、測った数十点もの測値をまとめて記憶し、一気にノートに書き込むという離れ業をやってのけた。
 佐藤は、捜査を行うシナモンの身のこなしにすっかり魅了された。
(機敏で滑らかな一連の所作は、まるで風に舞う妖精のよう。口からほとばしる数値の羅列は福音の詠唱のようにさえ訊こえる。優雅だ。完璧そのものだ!)
 シナモンは、遺体の口の近くにフィルドノートを寄せ、扇子で煽るかのように残臭を調べた。
 中居が佐藤に質問した。
「姫様、何してるんっすか?」
「この事件は毒殺の可能性が高い。例えば、青酸カリの場合、遺体の口からはアーモンドのような匂いがするそうだ。それを調べているのだろう」
「知らなかった。姫様、すんげえぇっ!」
「常識だ」
 佐藤の白い目を中居はまったく意に介していない。
 エドガー博士が、「手伝う」と申し出たので、若い貴婦人はフィールドノートとペンを渡した。
「キーワードを申し上げます。書き取って戴けますか?」
「了解した」
 船長が老紳士に訊ねた。
「何をなさろうというのです?」
 博士はフィールドノートの未記入ページを開いた。
「報告書を作るとき、研究者は『遺構カード』というものを作ります。遺構は、古墳・城館跡・住居跡などをさし、遺物は、土器・金属器・石器などの出土品をさします。レディー・シナモンは、犯行現場という『遺構カード』を作っているのですよ」
 船長がうなづいた。
「つまり、考古学の調査方法と犯罪の捜査方法は同じだというわけですな?」
「さよう。研究には観察眼と推理力の二つが欠かせない。遺構は犯行現場、遺物は遺体や遺留品に置き換えられる。彼女は双方に天才的なセンスがあるようだ」
「なるほど!」
 黄金の髪の若い貴婦人が、キーワードを唱えだしたので、老紳士は素早くメモを始めた。「呼び鈴、ボルドー、ボトル、チーズ、毒薬……」
 エドガー博士がフィールドノートをシナモンに返した頃だ。小柄な船医がちょこまかと現場に駆けつけた。
「すまんすまん。急患だったんだ」
 シナモンが微笑んだ。
「遺跡についての問題は、時間軸と空間軸を解決することに焦点が置かれます。犯罪捜査も同じ。時間軸のほうは先生にお願いたします。空間軸は私にお任せ下さい」
 時間軸というのは過去から未来に至る経過を示す。犯人がどのように犯行をしたかということだ。空間軸とはスポットとなる時点での場所を示す。犯行現場だ。犯行がなされたとき、犯人と被害者はそこでどのような行動をとったのか。得られた遺留品や痕跡が犯罪を証明する。
 船医は判ったような判らないような顔をしている。佐藤や中居も同じだ。反対に、若い貴婦人の言葉を訊いた船長は安堵した顔。やや違った反応をしているのは、ミッシェルと博士だった。青年は悪寒がする様子で小刻みに震えている。老紳士は懐中からロケットペンダントを開いた。画家になったという息子の肖像写真がある。少し眺めてまた閉じた。
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