伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」 2014年02月
 

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」

小説、エッセイ、画塾

cinamon B 飛行船シルフィ― cinamon


 城山大学を戴く丘にのびているのは停年坂と呼ばれる長いのぼり道だ。ちょっとした町のセレブの家々が並んでいて、そこの通りに、喫茶店「めらんこりい」があった。大学には付属の中学・高校があり、大学に通う田村恋太郎(たむら・れんたろう)は、そこの常連になっていた。
 オレンジ色の屋根、緑色の日よけカバー、黒枠のドアを開け、店にはいると、仕掛けられたベルが、カランカラン、鳴り、カウンター越しに厨房からマダムが顔をのぞかせる。 マダムは十人並みの容姿だが、すらりと手足が長い。高校生になる娘さんがいる。
 クリーム・オレンジの壁に、これでもかというくらい大きな窓がはめ込まれているため、店内は明るい。カウンターの横には、テーブルが三つばかり並んでいた。
 上下ジーンズで流しの髪をした、痩せっぽっちの学生がいつもの席に座った。
 ここで紅茶をのんでいると、講義がたまたま、あいている連中が寄ってくる。恋太郎が、いつも小脇に抱えているスケッチブックを開いて、窓からみえる風景を、ささっ、と描き始めた。
 少し遅れて、また常連がやってきたことを報せるベルが鳴った。そいつは、長髪を後ろに束ねている。Tシャツに、野球着ズボン、首にタオルをかけた男だ。川上愛矢(かわかみ・よしや)という恋太郎の幼馴染だ。
「よっ、天気いいなあ!」
「うん、天気いいなあ……」
 愛矢の元気よさに対して、恋太郎の返事は上の空のような感じだ。
  恋太郎は十人並みかやや背が高いといったところだが、愛矢は悪友よりも頭一つ背が高かった。実際、このノッポ君は、草野球チームに所属していてサードを守っていた。同じテーブル・横の席に座った愛矢が、悪友のスケッチブックをのぞきこんだ。
 愛矢が、恋太郎のわきに座り、
「相変わらず見事なものだな……」
 と口にしかけたところで、
「なんだこりゃ?」
 という素っ頓狂な声に変った。
 ここ数日、窓際の席に座る老人がいた。小柄で痩せてはいるが、腕まくりしたとき、筋肉質であることがわかった。日焼けした肌、短く刈り込んだ髪。草色のサマーセーターをきている。
 ──きっと、この人は昔、漁師だった。温厚そうな眼差しは遠洋漁業で外国暮らししていた。土地の人と友達になったり、ひょっとしたら恋をしていたりしていたに違いない。
 恋太郎は勝手に妄想し、老人を仮にフィッシャーマンと呼んでいた。そしてB5サイズのスケッチブックをとりだして、気づかれないように、その人を描いていたのだった。
     ☆.
 窓際からみえるのは地中海。白い断崖に囲まれた古い港町。オレンジ色の屋根の街並みで、オープン・カフェテラスがある。
 店先は石畳の街路で、三色のパラソルがついた白い丸テーブルが置かれている。ガス灯の穏やかな光が、賑やかな客たちの顔をオレンジ色に照らしていた。
 若いフィッシャーマンは、仲間たちと一緒に飲みに行った帰り、一人になって、酔い覚ましをしに、カフェテラスの外の席に座る。
 すると決まって、看板娘が、注文をとりにくる。小柄ながら痩せていて腰のあたりは綺麗に抉れている。黄金の髪はソバージュで、瞳は深い栗色をしている。
「カフェオレね。思いっきり甘いやつでしょ?」
「そう、甘いやつだ。そして思いっきり冷やしたやつをね」
 フィッシャーマンが伊達眼鏡を外してはにかんだ。
 看板娘が笑った。彼女は一度厨房に消え、ほどなく冷えたカフェオレを盆に載せて運んできた。看板娘はグラスをテーブルに置いた。
 それから、どちらからともなく顔を寄せ合って唇を重ねた。
 仲間たちがはやしたてる。
 二人はちょっと照れた様子だ。
 船の汽笛。
 灯台の光。
 店から流れるアコーディオンと陽気な歌声が途絶えたころ、港町はようやく朝を迎えるのだ。
     ☆
 老人が勘定を済ませてでていった。恋太郎も筆を置いた。
 スケッチブックに描かれているのは、窓越しに港を望めるカフェテラスで南仏風の内装。先ほどの老人が席に座り窓の外にむけて軽く手をあげている。乳母車を押した若い母親がいて、相手も手をあげている。その人の娘と孫のようだ。暖かそうな晴れた空。小さくカモメが飛んでいる。
「おい、恋太郎!」
「?」
「戻ってこい……チョプチョプ、チョープっ!」
 素人絵描きが振り返ると、前頭葉に手刀が直撃した。
 
 うぐぐぐ……。
 流し髪の学生は痛そうに頭をさすりだす。
「また妄想していただろ?」
「どうして判った?」
「伊達におまえと十年つきあってない」
 マダムが、フィッシャーマンのことを話した。
「昔は遠洋漁業でヨーロッパにも基地があったの。あのお爺さん、そこで勤務していたんだって。現地で奥さんをみつけて、むこうに家もある。里帰りに寄ったそうよ」
「うっそだあーっ!」
 愛矢がまた素っ頓狂な声をあげた。
 マダムも問題のスケッチブックをのぞきこみ、ちょっと驚いたような顔になっている。
 殴られた恋太郎は迷惑そうな顔をしていた。
 高台にある小さな喫茶店の窓越しに、初夏のすこし霞がかった空がみえる。視線を下にやるとはるかむこうに港と、さらにむこうに水平線が望めた。そこを小さく、黒・白・赤でペイントされた貨物船が、同じ間隔で一列に並び北にむかっていた。

      END









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